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投稿日:2016年03月10日
「自分の鍼治療を説明させてください」
第1回 ~鍼灸治療のやり方は様々で、多くの流派がある~
日本の国民の鍼灸治療を受けたことがある人の割合は7%程度と聞きます。残念ながら、現代における鍼治療はそれだけ一般的ではありません。一般的ではないことを説明するのは難しいことです。
それでも、患者さんに納得していただいて治療に取り組んでいただくには、鍼治療についてご理解していただけるよう、説明する努力が必要であると考えています。
今回は以下の3つに沿って、説明できたらと思いました。
「えっ、鍼灸に流派なんてあるんですか?」
と患者さんに言われることがあります。
昔から続く流派のほうが珍しくなってきている印象ですが、現在も多くの流派が存在し、戦後に組織としてできた比較的新しい流派のほうが鍼灸の世界としては一般的に思えます。
鍼灸師になるには、鍼灸学校を3年間かけて卒業し、国家試験に合格しなければなりません。鍼灸学校でも実技は習いますが、残念なことに鍼灸学校で学んだ実技が卒業後にプロとして通用するかといわれれば、それは難しいこととなっています。多くの鍼灸師は鍼灸学校を卒業してから、本格的な修行が始まるといえるのではないでしょうか。
私の場合も、鍼灸学校を卒業してから、修行の道が始まったわけですが、今思えば、最初の時期は右も左もわからないながら激流に飲み込まれ、自分が気がつかないまま本物の道からは遠く逸れていってしまったり、大変な時期もありました。
それでも、最後に一生をかけてこの先生の鍼を目指そうと思える師に出会えたことで、奇跡的に救われ、今の自分があると思っています。
患者さんから、
「鍼って打っちゃいけない所ってあるんですか?」
と、聞かれることがあります。
その答えとしては、常識的なところであれば、鍼をしてはいけないところはない、とされます。
常識的というのは、例えば、眼球に鍼を刺す、といったことは非常識、ということで、頭、顔、首、肩、腕、背中、腰、骨盤、足といったように全身に渡って、どこを鍼してはいけない、ということはありません。
上記のように、常識的なところなら、どこに鍼や灸をしても良いとなれば、極端には、頭の先から足の先まで全身をまんべんなく鍼や灸をするということでも良いのかもしれません。
でも、それだけ鍼や灸をする必要は無く、どこを重視するのか、何を優先するのか、といったことが鍼灸の長い歴史の中で、無駄なことが削ぎ落とされ、残ってきたことがあるのだと思います。
その何を重視するのか、が流派によって異なり、それがそれぞれの流派の治療の特徴となっているといえると思います。
流派によって、脈を整えることを重視する、お腹の硬さを取り去ることを重視する、腰部や骨盤を整えることを重視するなど、様々です。また、実際に鍼や灸をする場所も、肘から手先、膝から足先を重視するやり方や、お腹や背中、腰を主に治療するなど、それも様々です。
どれが正解か、ということは誰にも答えられないことなのかもしれませんが、山登りに例えるなら、患者さんに良くなって元気になってもらいたい、ということはどの流派の鍼灸師にとっても共通の山頂であり、鍼灸師はそれぞれの技術や考え方によって、それぞれの山登りのルートで山頂を目指すといったことに私は思います。
鍼灸師によっては、直線的に山頂を目指すルートを選ぶかもしれませんし、迂回しながらゆっくり山頂を目指したりとするのかもしれません。
ただし、山頂を目指すにあたって、鍼灸師には共通の考え方のようなものがあるように思えます。それは、東洋哲学をベースとした東洋医学の考え方です。その東洋医学の解釈などはそれぞれの流派によって差異はあるかとは思いますが、基本的なとらえ方としては、共通しているといえるのではないでしょうか。
次回は、第2回として、東洋医学の共通的な考え方と私の流派の鍼についての説明ができたらと思っています。
「自分の鍼治療を説明させてください」
第2回 ~東洋医学的な説明。人体は全体で一つ。六臓六腑と兪穴~
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それでも、患者さんに納得していただいて治療に取り組んでいただくには、鍼治療についてご理解していただけるよう、説明する努力が必要であると考えています。
今回は以下の3つに沿って、説明できたらと思いました。
鍼灸治療のやり方は様々で、多くの流派がある
「えっ、鍼灸に流派なんてあるんですか?」
と患者さんに言われることがあります。
昔から続く流派のほうが珍しくなってきている印象ですが、現在も多くの流派が存在し、戦後に組織としてできた比較的新しい流派のほうが鍼灸の世界としては一般的に思えます。
鍼灸師になるには、鍼灸学校を3年間かけて卒業し、国家試験に合格しなければなりません。鍼灸学校でも実技は習いますが、残念なことに鍼灸学校で学んだ実技が卒業後にプロとして通用するかといわれれば、それは難しいこととなっています。多くの鍼灸師は鍼灸学校を卒業してから、本格的な修行が始まるといえるのではないでしょうか。
私の場合も、鍼灸学校を卒業してから、修行の道が始まったわけですが、今思えば、最初の時期は右も左もわからないながら激流に飲み込まれ、自分が気がつかないまま本物の道からは遠く逸れていってしまったり、大変な時期もありました。
それでも、最後に一生をかけてこの先生の鍼を目指そうと思える師に出会えたことで、奇跡的に救われ、今の自分があると思っています。
患者さんから、
「鍼って打っちゃいけない所ってあるんですか?」
と、聞かれることがあります。
その答えとしては、常識的なところであれば、鍼をしてはいけないところはない、とされます。
常識的というのは、例えば、眼球に鍼を刺す、といったことは非常識、ということで、頭、顔、首、肩、腕、背中、腰、骨盤、足といったように全身に渡って、どこを鍼してはいけない、ということはありません。
上記のように、常識的なところなら、どこに鍼や灸をしても良いとなれば、極端には、頭の先から足の先まで全身をまんべんなく鍼や灸をするということでも良いのかもしれません。
でも、それだけ鍼や灸をする必要は無く、どこを重視するのか、何を優先するのか、といったことが鍼灸の長い歴史の中で、無駄なことが削ぎ落とされ、残ってきたことがあるのだと思います。
その何を重視するのか、が流派によって異なり、それがそれぞれの流派の治療の特徴となっているといえると思います。
流派によって、脈を整えることを重視する、お腹の硬さを取り去ることを重視する、腰部や骨盤を整えることを重視するなど、様々です。また、実際に鍼や灸をする場所も、肘から手先、膝から足先を重視するやり方や、お腹や背中、腰を主に治療するなど、それも様々です。
どれが正解か、ということは誰にも答えられないことなのかもしれませんが、山登りに例えるなら、患者さんに良くなって元気になってもらいたい、ということはどの流派の鍼灸師にとっても共通の山頂であり、鍼灸師はそれぞれの技術や考え方によって、それぞれの山登りのルートで山頂を目指すといったことに私は思います。
鍼灸師によっては、直線的に山頂を目指すルートを選ぶかもしれませんし、迂回しながらゆっくり山頂を目指したりとするのかもしれません。
ただし、山頂を目指すにあたって、鍼灸師には共通の考え方のようなものがあるように思えます。それは、東洋哲学をベースとした東洋医学の考え方です。その東洋医学の解釈などはそれぞれの流派によって差異はあるかとは思いますが、基本的なとらえ方としては、共通しているといえるのではないでしょうか。
次回は、第2回として、東洋医学の共通的な考え方と私の流派の鍼についての説明ができたらと思っています。
「自分の鍼治療を説明させてください」
第2回 ~東洋医学的な説明。人体は全体で一つ。六臓六腑と兪穴~
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