鍼灸院神尾 鍼灸師紹介

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鍼灸師紹介

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神尾 理(かんお おさむ)
1972年1月生まれ
はり師(国家資格免許番号:146223号)
きゅう師(国家資格免許番号:145994号)

主な経歴
1972年 東京都西東京市生まれ。
1975年 埼玉県所沢市に移住。
1977年 埼玉県所沢市みはら幼稚園入園。
1979年 埼玉県所沢市立中富小学校入学。
1981年 埼玉県入間市に移住。
1984年 埼玉県入間市立新久小学校卒業。
1987年 自由の森学園中学校卒業。
1988年 オーストラリア Ivanhoe Grammar School 留学。
1990年 自由の森学園高等学校卒業。埼玉県所沢市に移住。
1991年 アメリカ University of Oregon 留学。
2000年 獨協大学外国語学部英語学科卒業。
2001年 外資系ウェブ制作会社にてウェブエンジニアとして勤務。
2009年 日本医学柔整鍼灸専門学校卒業。
2009年 はり師きゅう師国家資格免許取得。
2009年 往診鍼灸 十禅(じゅうぜん)開院。
2010年 東京都「東池袋四丁目はりきゅう院」にて4人の鍼灸師と共に開院。
2012年 東京都豊島区雑司が谷にて、個人の鍼灸院である「鍼 神尾」を開院。
2019年 治療院名を「鍼灸院神尾」に変更し、埼玉県所沢市に移転。所沢市医療保健課の認可を受け開院。


はり師国家資格免状
きゅう師国家資格免状



私の原点

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私が鍼灸の道を歩み始めた最大のきっかけは、母を膵臓(すいぞう)がんで亡くしたことになります。それよりずっと以前、私が二十歳の頃に、自分自身のスポーツ競技生活と過酷な海外での生活が引き金となり、最初は腰痛からでしたが、その後半年の内に、食べられない、眠れない、5分として歩けない、寝たきりの廃人状態まで陥ってしまいました。

藁をもつかむ想いで、西洋医学の病院やクリニック、その他の治療院などの門を叩きましたが、事態が好転することはなく、診察券ばかりが増えていく、そんな時期もありました。それまでは、東洋医学には全く縁がありませんでしたが、本気で自分の体を根本から治したいという想いから、東洋医学に自然と目が向きました。その頃から東洋的な考え方を基本とし、20年近く自らの心と体を省みながら、健康とは、病気とは、生とは、死とは、といったことを自分なりに考え続けてきました。

そのような自分の経験を、少しでも母の病状が好転することに役立てられたらといった想いが強くあり、当時勤めていた会社を辞めて実家に戻り、最期の八ヶ月間を、母の側で過ごしました。その中で西洋、東洋を問わず、様々な治療法や病院、治療家との出会いがあり、その時に母が受けた鍼灸治療が私にとっての鍼灸との出会いでした。

また、そのころ、ある鍼灸師の方からお灸の一種である枇杷の葉温灸のやり方を教えていただきました。「この温灸は大変な手間がかかるが、家族なら継続して取り組むことができるかもしれない。」と言われ、私達家族はその温灸に全てをかけて取り組みました。その温灸は毎日8時間以上を2ヶ月間、継続できれば、その頃の母のようながんの末期の状況でも快方に向かわれる方がいるという例を聞いていました。母もよく温灸を受け続けてくれましたが、毎日8時間以上できる日もあれば、段々と1日に8時間以下となり、最後は1~2時間程度となり、1ヶ月間は続けたものの力尽き、入院することにもなり、それ以上、継続することはできませんでした。

母は快方に向かえることはありませんでしたが、最期の時期に、通常では膵臓がんの痛みはかなり強いもののようですが、母は痛みを訴えることがほとんどなく、モルヒネを打つこともなかったため、最期に入院した先の医師が驚いていました。それが温灸の効果であったかどうか、その因果関係は確かなものではありませんでしたが、そのような一連のことが私にとって、鍼灸の道を歩む一歩につながったと言えます。

私は結局、母のために何も結果を出すことができませんでしたが、温灸に取り組んだ1ヶ月間の凄まじい体験が今、鍼灸師としての自分の原点であるとはっきりと言えます。それは、今は鍼灸師として、患者さんの為に僅かでも自分にできることがあるならば全力で最善を尽したいという想いとなっています。

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診療日時
月・木・金:10時半~18時半
(最終診療開始時間:17時)
土・日:10時半~19時半
(最終診療開始時間:18時)

休診日
火・水
火・水以外の祝日は診療日となります。

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