コラム
コラムをカテゴリー別にご覧になる際は、下記のご覧になりたいカテゴリー名をクリックされてください。
投稿日:2022年04月30日
自然農法を求めた旅
今から15年ほど前になりますが、私が自然農法と出会い、それを求めて旅をして、最終的に自宅から意外と近場に辿り着くというお話しになります。
そんな体験もあり、今回の体験農場にもつながった話しとなります。
15年ほど前となると、私が35歳の頃になりますが、私はその頃は、鍼灸師国家資格を目指す鍼灸の専門学校の学生でした。
夏休みに、長野県の山の中で陶芸などの芸術活動をしている叔父さんを訪ねました。叔父さんは、私にとって、ご意見番というか、特に鍼灸師を目指すかどうか、といった時期に、よく訪ねて、人生相談させてもらっていました。
この時、叔父さんの大学時代の同級生の方が長野県松本の山深い集落で暮らされていて、その方を叔父さんと一緒に訪ねてみようということになりました。
その方は、大学で油絵科を卒業され、その後、チベットに渡り、曼荼羅の師匠の元、曼荼羅の画家として修行されたそうです。ご自宅の半分はアトリエになっていて、制作中のかなり大型の曼荼羅などを見せていただきました。
山の中で曼荼羅を描いて、どうやって生活しているのか聞いてみました。曼荼羅を描いてほしい人がいて、その依頼主は何年かかっても構わないから完成するのを待つということで、報酬は一生分の光熱費を支払ってもらうということだと言っていました。
家賃もかからないらしく、その方曰く、現金は必要ないと言いきっていました。
食べる物は目の前の自分の畑で採れるもので良いと言って、畑を見せてくれました。自宅の敷地よりも少し大きい畑がありましたが、野菜もできているけど花は咲き乱れているし、何がどこに植わっているのかがわからない混沌とした畑なのですが、どこか調和が取れていて美しい空間がありました。私がそれまで目にしていた畑とは全く異なるものでした。
私はこの畑についていろいろと質問してみました。その方が福岡正信さんと対談され、その時に意気投合して、福岡さんの影響を受けて、自分でも自然農法の畑を作ってみようと考えたそうです。
私はその時は福岡正信さんを存じ上げず、話しについていけなかったのですが、叔父さんは、納得して二人で話しが盛り上がっていました。
私はその方の現金を必要とせず、好きな時に好きな絵を描き、自立したその姿がかっこ良いばかりでなく、本当の意味で何からも支配されずに自由に生きるとはこういうことなのかと思ったりもしました。
叔父さんの家に帰宅後、叔父さんが私に手渡したのが、「わら一本の革命」という福岡正信さんの著書でした。叔父さんの家にはこの本以外にも数冊、福岡正信さんの著書がありましたが、最初はこれ読んでみたら、ということで、これをきっかけに、私は福岡正信さんの著書を読み漁りました。
福岡正信さんは自然農法家ということではありますが、粘土団子という粘土質の土の中に、相性の良い複数種類の種を混ぜ団子状にし、表面を乾燥させたものを砂漠化してしまった土地などに撒いて緑化するという「現代の花咲か爺さん」と呼ばれていたりもして、海外では緑化の専門家としても知る人は知る存在です。実際に、砂漠を緑化する国家プロジェクトとして、中東やアジアの国々に招かれ、実績があり評価されている方です。
著作の中でも、この粘土団子の話しもありますし、自然農法の実践的な話しもあります。自然農法は、単なる農法の一つというよりは、考え方というか思想が基にあって、その自然農法の思想が現代の世の中では色々な気づきとなるように私は感じました。
自然農法に適した土を完成させるには、時間をかけて土を自然な状態に戻していくような手間がありますが、ある程度、土が完成して、作物が育つようになれば、あとは人間が手を加えることは少なくなるので、福岡正信さんの著書では、半農半Xの実践を推奨していました。それは、日常生活の半分の時間と労力を自然農に使い、もう半分のX(エックス)はそれぞれ個人のやりたい事をしたらいい、という考え方で、これは私が長野県の叔父さんの同級生の曼荼羅の画家の方が実践されていたことに通ずるものを感じました。
それから数ヶ月後、10月の体育の日絡みの連休に、私は福岡正信さんの著書の世界に魅せられ、どうしても愛媛県伊予市にある福岡正信さんの農園を訪ねてみたくなりました。
とはいえ、住所もわかりませんでしたが、著書には愛媛県伊予市と記されていたので、それと、いくつか福岡正信さんの農園の写真が掲載されていて、なんとなくこんな感じの所なのかなぁ、といったことだけで、ただただ閃きに身を任せて出発しました。
愛媛県伊予市に着いてから農園を探すのに、機動力としては、バイクがいいかと思い、東京の有明港からバイクでフェリーに乗って、翌日に徳島県でフェリーを降り、それからバイクで四国を縦断し、愛媛県伊予市に着きました。
伊予市に着いてからは頼るのは野生の勘のみでしたが、著書の写真の感じで何となく、それっぽい山に入っていってみました。そんな方法で目的地にたどり着けるわけもなかったのですが、その日はいくつか山の上のほうまでバイクで駆け上がり、また降りてくるといったことを繰り返していました。
段々、体力的にも疲れてきて、山の中で急なヘアピンのようなカーブでバイクを倒してしまいました。スピードは出てなかったので転倒するということではなく、バイクを倒してしまった感じだったのですが、その時、ギアが1速から上げることができない状態になってしまいました。
仕方がないので、その山の麓にガソリンスタンドがあったことを思い出し、そのガソリンスタンドまで1速のままジリジリと走りました。そのガソリンスタンドではバイクのことはわからないと言われ、数十メートル先の自動車整備工場に行ってみたらどうかということになり、その整備工場を訪ねてみました。
すると、その日は整備工場は休みだったのですが、整備工場の裏がいかにもその整備工場の方の自宅っぽかったので、そちらを訪ねてみると、整備工場の方が出てきてくださり、バイクをみてもらいました。ギアの問題はとりあえず応急処置をしていただき、普通に走れる状態になりました。
その時、整備工場の方が私のバイクのナンバープレートを見て、「所沢って、埼玉県?そんなところから何しに来たの?」と聞かれました。私は福岡正信さんの農園を見てみたくてその農園を探していることを告げました。すると、その整備工場の方は、農園がどこにあるのかは知らないが、福岡正信さんの自宅はこの道をまっすぐ行った突き当たりの家だと教えてくれました。
そんなことがあり、なんとか福岡正信さんのご自宅まで辿り着きました。山の中でバイクを倒さなければ辿り着けなかったかもしれませんでした。
ドキドキのピンポンだったわけですが、出てこられたのは、福岡正信さんの息子さんの奥様でした。著書を読んで、どうしても福岡正信さんの農園を見たいということを伝えましたが、今思っても、かなり反応が悪いというか、迷惑そうでした。確かに、アポなしで突然ですし、失礼なことしているなぁ、と自分でも思ったのですが、そういったこと以上に何か追っ払われるというか、非常に冷たい反応でした。
後でわかったのは、昔から福岡正信さんを担ぎ上げて、ビジネスというか、純粋な目的ではなく、訪ねてくる人達も多かったようで、私もそのように思われたようでした。
奥様からは、福岡正信さんはその時、96歳ということもあり、もう既に農園からも引退していて、その農園は息子さんも引き継いでいなくて誰も入らなくなってから久しく、今はただの山になっている、ということで、案内するようなこともできないので、お帰りください、といった感じでした。
私としては、埼玉県から愛媛県まで無謀な旅をしながらも、なんとか辿り着いて、このまま帰るわけにもいかない、ということで、変なスイッチが入りまして、勝手に自己アピールを始めました。
自分は、鍼灸師を目指して鍼灸の専門学校に通う学生で、福岡正信さんの著書に出会い、その思想に惹かれ、どうしても農園を訪ねてみたいということで、来ました、といったことを話しました。
すると、その奥様が「鍼灸師」というキーワードに反応され、「以前も鍼灸師の人達が農園を訪ねて来たことがあった。」ということを仰り、それから表情から態度まで一転して、私が何か営利目的というか、そういった目的ではなく、純粋な気持ちで訪ねていることを理解していただきました。
それでも、福岡正信さんの農園はもう存在しないから案内はできないが、その時期は10月でしたので、ちょうど稲刈りの時期で、福岡正信さんの息子さんが引き継いでいる田んぼのほうで稲刈りの作業をやっているから、翌日からその作業に加わって、何か感じてもらう、といったことで良ければどうぞ、と言っていただき、翌日、田んぼを訪ねることになりました。
翌日、早朝に田んぼを訪ねると、5人の方々がいて、その方々に加わって、一日稲刈りの作業をさせていただきました。
福岡正信さんの息子さんとも話しをさせていただき、自然農法の田んぼの説明をしていただきました。自然農法の田んぼでは、稲刈り時期は水は引けてますが、稲の根元には、色々な草が生え、様々な生物が生息していて生態系を形成していました。ちょっと離れた別の農家の一般的な田んぼもあって、そちらも見てみましたが、全く生物は見られず、全く別世界でした。
稲刈り作業をさせていただきながら、色々な気づきや感じることがありました。また、そこで一緒に作業した5人の方々とも楽しく一日、過ごさせていただきました。みなさん、鍼灸にも興味があって、色々と私に質問してくれたりもしました。
その日は、実は、もう既に連休が終わっていて、帰りもフェリーに乗るので自宅に着くにも2日ぐらいかかることもあり、完全に鍼灸学校の授業をサボることになっていました。担任の先生にはメールしました。怒られるかと思いましたが、そういったことなら、しっかりやってこい、ということで大目に見てもらいました。
みんなで夕飯をいただき、そこで採れた玄米を炊いて、ご馳走してもらいました。格別に美味しかったです。
みなさん全国から辿り着いていて、私と似た感じで、福岡正信さんの著書を読んだことがきっかけでした。
その中に、ハロルドくんというスイスから来た20歳の若者がいました。彼もドイツ語に翻訳された福岡正信さんの著書を読んで、自然農法に興味を持ち、ギリシャで粘土団子のプロジェクトがあって、それに参加したことがきっかけで、そのプロジェクトで一緒だった日本人の女性が、ハロルドくんを福岡さんのところに連れてきてくれた、と言っていました。彼はここに2ヶ月滞在してから中国に向かうと言っていました。
みなさんに良くしてもらい、本当に楽しくて、みなさんから部屋も空いているし、ずっと滞在したらいいのにと言ってくれたのですが、鍼灸学校のこともあるので、さすがにこれ以上はと思い、帰路につきました。
帰り際に、ハロルドくんが彼をここに連れてきてくれた日本人の友人の電話番号を教えてくれました。その友人も自然農法を実践していると思うし、ぜひ連絡を取って、訪ねてみたらと言ってくれました。
自宅に帰宅後、ハロルドくんに教えてもらった連絡先に早速、電話してみました。
すると、その方は埼玉県日高市という、私の自宅からクルマで1時間ぐらいのところに在住の方でした。電話で話しをすると快く迎えていただけることになり、早速、訪ねてみました。
その方の自宅周辺の畑を見せていただき、自然農法のみならず、粘土団子のプロジェクトのことなど、色々な話しをしてもらいました。その日の最後に、その方の友人のところに行ってみようということになって、うかがったのが、「たねの森」という、自然農法に適した種を作られているところに案内してもらいました。
無農薬・無化学肥料のたねの店 たねの森
最近の通常の化学農法で使われている種は、F1種といい、1代だけで、種が取れない品種となります。本来の種ならば、野菜であれば、採れた野菜から種を採取して、いくらでも増やしていけるものです。そういった本来の種のことを固定種と言いますが、たねの森では、その固定種の種を作っています。
そこでは、畑も広大で、私のような素人でも畑の作業に参加して良いということになり、それから頻繁に通うことになりました。鍼灸学校が夏休みの時は、ほぼ毎日のように通っていました。
私は当時、鍼灸関係の本で、ある鍼灸師に弟子入りすると、それから毎日、畑仕事をさせられる、という話しを読んでいました。私はその時、畑仕事は一見、鍼灸とは関係なさそうだが、考え方などが通ずることがありそうだと思いました。また、自然界にどっぷり浸かることで、五感を通して感覚を磨くようなことができるのではないか、という私の個人的な感覚があり、そんなこともあって、積極的に畑にお邪魔していました。
こんな経緯があり、長野から始まり、愛媛を訪ね、最後に埼玉県日高に辿り着くといった旅でしたが、先月から体験農園が始まったことで、思い返してしまいました。
今回の体験農園も、たねの森の種で始められることになっていますので、種は間違いないので、しっかり畑を作っていきたいと思います。
≪ この記事を閉じる
そんな体験もあり、今回の体験農場にもつながった話しとなります。
まずは叔父さんのところからスタート
15年ほど前となると、私が35歳の頃になりますが、私はその頃は、鍼灸師国家資格を目指す鍼灸の専門学校の学生でした。
夏休みに、長野県の山の中で陶芸などの芸術活動をしている叔父さんを訪ねました。叔父さんは、私にとって、ご意見番というか、特に鍼灸師を目指すかどうか、といった時期に、よく訪ねて、人生相談させてもらっていました。
この時、叔父さんの大学時代の同級生の方が長野県松本の山深い集落で暮らされていて、その方を叔父さんと一緒に訪ねてみようということになりました。
叔父さんの同級生を訪ねる
その方は、大学で油絵科を卒業され、その後、チベットに渡り、曼荼羅の師匠の元、曼荼羅の画家として修行されたそうです。ご自宅の半分はアトリエになっていて、制作中のかなり大型の曼荼羅などを見せていただきました。
山の中で曼荼羅を描いて、どうやって生活しているのか聞いてみました。曼荼羅を描いてほしい人がいて、その依頼主は何年かかっても構わないから完成するのを待つということで、報酬は一生分の光熱費を支払ってもらうということだと言っていました。
家賃もかからないらしく、その方曰く、現金は必要ないと言いきっていました。
食べる物は目の前の自分の畑で採れるもので良いと言って、畑を見せてくれました。自宅の敷地よりも少し大きい畑がありましたが、野菜もできているけど花は咲き乱れているし、何がどこに植わっているのかがわからない混沌とした畑なのですが、どこか調和が取れていて美しい空間がありました。私がそれまで目にしていた畑とは全く異なるものでした。
私はこの畑についていろいろと質問してみました。その方が福岡正信さんと対談され、その時に意気投合して、福岡さんの影響を受けて、自分でも自然農法の畑を作ってみようと考えたそうです。
私はその時は福岡正信さんを存じ上げず、話しについていけなかったのですが、叔父さんは、納得して二人で話しが盛り上がっていました。
私はその方の現金を必要とせず、好きな時に好きな絵を描き、自立したその姿がかっこ良いばかりでなく、本当の意味で何からも支配されずに自由に生きるとはこういうことなのかと思ったりもしました。
福岡正信さんの著書と出会う
叔父さんの家に帰宅後、叔父さんが私に手渡したのが、「わら一本の革命」という福岡正信さんの著書でした。叔父さんの家にはこの本以外にも数冊、福岡正信さんの著書がありましたが、最初はこれ読んでみたら、ということで、これをきっかけに、私は福岡正信さんの著書を読み漁りました。
福岡正信さんは自然農法家ということではありますが、粘土団子という粘土質の土の中に、相性の良い複数種類の種を混ぜ団子状にし、表面を乾燥させたものを砂漠化してしまった土地などに撒いて緑化するという「現代の花咲か爺さん」と呼ばれていたりもして、海外では緑化の専門家としても知る人は知る存在です。実際に、砂漠を緑化する国家プロジェクトとして、中東やアジアの国々に招かれ、実績があり評価されている方です。
著作の中でも、この粘土団子の話しもありますし、自然農法の実践的な話しもあります。自然農法は、単なる農法の一つというよりは、考え方というか思想が基にあって、その自然農法の思想が現代の世の中では色々な気づきとなるように私は感じました。
自然農法に適した土を完成させるには、時間をかけて土を自然な状態に戻していくような手間がありますが、ある程度、土が完成して、作物が育つようになれば、あとは人間が手を加えることは少なくなるので、福岡正信さんの著書では、半農半Xの実践を推奨していました。それは、日常生活の半分の時間と労力を自然農に使い、もう半分のX(エックス)はそれぞれ個人のやりたい事をしたらいい、という考え方で、これは私が長野県の叔父さんの同級生の曼荼羅の画家の方が実践されていたことに通ずるものを感じました。
愛媛県伊予市を目指す
それから数ヶ月後、10月の体育の日絡みの連休に、私は福岡正信さんの著書の世界に魅せられ、どうしても愛媛県伊予市にある福岡正信さんの農園を訪ねてみたくなりました。
とはいえ、住所もわかりませんでしたが、著書には愛媛県伊予市と記されていたので、それと、いくつか福岡正信さんの農園の写真が掲載されていて、なんとなくこんな感じの所なのかなぁ、といったことだけで、ただただ閃きに身を任せて出発しました。
愛媛県伊予市に着いてから農園を探すのに、機動力としては、バイクがいいかと思い、東京の有明港からバイクでフェリーに乗って、翌日に徳島県でフェリーを降り、それからバイクで四国を縦断し、愛媛県伊予市に着きました。
山でコケる
伊予市に着いてからは頼るのは野生の勘のみでしたが、著書の写真の感じで何となく、それっぽい山に入っていってみました。そんな方法で目的地にたどり着けるわけもなかったのですが、その日はいくつか山の上のほうまでバイクで駆け上がり、また降りてくるといったことを繰り返していました。
段々、体力的にも疲れてきて、山の中で急なヘアピンのようなカーブでバイクを倒してしまいました。スピードは出てなかったので転倒するということではなく、バイクを倒してしまった感じだったのですが、その時、ギアが1速から上げることができない状態になってしまいました。
仕方がないので、その山の麓にガソリンスタンドがあったことを思い出し、そのガソリンスタンドまで1速のままジリジリと走りました。そのガソリンスタンドではバイクのことはわからないと言われ、数十メートル先の自動車整備工場に行ってみたらどうかということになり、その整備工場を訪ねてみました。
すると、その日は整備工場は休みだったのですが、整備工場の裏がいかにもその整備工場の方の自宅っぽかったので、そちらを訪ねてみると、整備工場の方が出てきてくださり、バイクをみてもらいました。ギアの問題はとりあえず応急処置をしていただき、普通に走れる状態になりました。
その時、整備工場の方が私のバイクのナンバープレートを見て、「所沢って、埼玉県?そんなところから何しに来たの?」と聞かれました。私は福岡正信さんの農園を見てみたくてその農園を探していることを告げました。すると、その整備工場の方は、農園がどこにあるのかは知らないが、福岡正信さんの自宅はこの道をまっすぐ行った突き当たりの家だと教えてくれました。
ご自宅に辿り着くものの…
そんなことがあり、なんとか福岡正信さんのご自宅まで辿り着きました。山の中でバイクを倒さなければ辿り着けなかったかもしれませんでした。
ドキドキのピンポンだったわけですが、出てこられたのは、福岡正信さんの息子さんの奥様でした。著書を読んで、どうしても福岡正信さんの農園を見たいということを伝えましたが、今思っても、かなり反応が悪いというか、迷惑そうでした。確かに、アポなしで突然ですし、失礼なことしているなぁ、と自分でも思ったのですが、そういったこと以上に何か追っ払われるというか、非常に冷たい反応でした。
後でわかったのは、昔から福岡正信さんを担ぎ上げて、ビジネスというか、純粋な目的ではなく、訪ねてくる人達も多かったようで、私もそのように思われたようでした。
奥様からは、福岡正信さんはその時、96歳ということもあり、もう既に農園からも引退していて、その農園は息子さんも引き継いでいなくて誰も入らなくなってから久しく、今はただの山になっている、ということで、案内するようなこともできないので、お帰りください、といった感じでした。
勝手に自己アピール
私としては、埼玉県から愛媛県まで無謀な旅をしながらも、なんとか辿り着いて、このまま帰るわけにもいかない、ということで、変なスイッチが入りまして、勝手に自己アピールを始めました。
自分は、鍼灸師を目指して鍼灸の専門学校に通う学生で、福岡正信さんの著書に出会い、その思想に惹かれ、どうしても農園を訪ねてみたいということで、来ました、といったことを話しました。
すると、その奥様が「鍼灸師」というキーワードに反応され、「以前も鍼灸師の人達が農園を訪ねて来たことがあった。」ということを仰り、それから表情から態度まで一転して、私が何か営利目的というか、そういった目的ではなく、純粋な気持ちで訪ねていることを理解していただきました。
それでも、福岡正信さんの農園はもう存在しないから案内はできないが、その時期は10月でしたので、ちょうど稲刈りの時期で、福岡正信さんの息子さんが引き継いでいる田んぼのほうで稲刈りの作業をやっているから、翌日からその作業に加わって、何か感じてもらう、といったことで良ければどうぞ、と言っていただき、翌日、田んぼを訪ねることになりました。
稲刈りに参加
翌日、早朝に田んぼを訪ねると、5人の方々がいて、その方々に加わって、一日稲刈りの作業をさせていただきました。
福岡正信さんの息子さんとも話しをさせていただき、自然農法の田んぼの説明をしていただきました。自然農法の田んぼでは、稲刈り時期は水は引けてますが、稲の根元には、色々な草が生え、様々な生物が生息していて生態系を形成していました。ちょっと離れた別の農家の一般的な田んぼもあって、そちらも見てみましたが、全く生物は見られず、全く別世界でした。
稲刈り作業をさせていただきながら、色々な気づきや感じることがありました。また、そこで一緒に作業した5人の方々とも楽しく一日、過ごさせていただきました。みなさん、鍼灸にも興味があって、色々と私に質問してくれたりもしました。
その日は、実は、もう既に連休が終わっていて、帰りもフェリーに乗るので自宅に着くにも2日ぐらいかかることもあり、完全に鍼灸学校の授業をサボることになっていました。担任の先生にはメールしました。怒られるかと思いましたが、そういったことなら、しっかりやってこい、ということで大目に見てもらいました。
みんなで夕飯をいただき、そこで採れた玄米を炊いて、ご馳走してもらいました。格別に美味しかったです。
みなさん全国から辿り着いていて、私と似た感じで、福岡正信さんの著書を読んだことがきっかけでした。
その中に、ハロルドくんというスイスから来た20歳の若者がいました。彼もドイツ語に翻訳された福岡正信さんの著書を読んで、自然農法に興味を持ち、ギリシャで粘土団子のプロジェクトがあって、それに参加したことがきっかけで、そのプロジェクトで一緒だった日本人の女性が、ハロルドくんを福岡さんのところに連れてきてくれた、と言っていました。彼はここに2ヶ月滞在してから中国に向かうと言っていました。
みなさんに良くしてもらい、本当に楽しくて、みなさんから部屋も空いているし、ずっと滞在したらいいのにと言ってくれたのですが、鍼灸学校のこともあるので、さすがにこれ以上はと思い、帰路につきました。
ハロルドくんが教えてくれた連絡先
帰り際に、ハロルドくんが彼をここに連れてきてくれた日本人の友人の電話番号を教えてくれました。その友人も自然農法を実践していると思うし、ぜひ連絡を取って、訪ねてみたらと言ってくれました。
自宅に帰宅後、ハロルドくんに教えてもらった連絡先に早速、電話してみました。
意外と近場に辿り着く
すると、その方は埼玉県日高市という、私の自宅からクルマで1時間ぐらいのところに在住の方でした。電話で話しをすると快く迎えていただけることになり、早速、訪ねてみました。
その方の自宅周辺の畑を見せていただき、自然農法のみならず、粘土団子のプロジェクトのことなど、色々な話しをしてもらいました。その日の最後に、その方の友人のところに行ってみようということになって、うかがったのが、「たねの森」という、自然農法に適した種を作られているところに案内してもらいました。
無農薬・無化学肥料のたねの店 たねの森
最近の通常の化学農法で使われている種は、F1種といい、1代だけで、種が取れない品種となります。本来の種ならば、野菜であれば、採れた野菜から種を採取して、いくらでも増やしていけるものです。そういった本来の種のことを固定種と言いますが、たねの森では、その固定種の種を作っています。
そこでは、畑も広大で、私のような素人でも畑の作業に参加して良いということになり、それから頻繁に通うことになりました。鍼灸学校が夏休みの時は、ほぼ毎日のように通っていました。
私は当時、鍼灸関係の本で、ある鍼灸師に弟子入りすると、それから毎日、畑仕事をさせられる、という話しを読んでいました。私はその時、畑仕事は一見、鍼灸とは関係なさそうだが、考え方などが通ずることがありそうだと思いました。また、自然界にどっぷり浸かることで、五感を通して感覚を磨くようなことができるのではないか、という私の個人的な感覚があり、そんなこともあって、積極的に畑にお邪魔していました。
こんな経緯があり、長野から始まり、愛媛を訪ね、最後に埼玉県日高に辿り着くといった旅でしたが、先月から体験農園が始まったことで、思い返してしまいました。
今回の体験農園も、たねの森の種で始められることになっていますので、種は間違いないので、しっかり畑を作っていきたいと思います。
たねの森の風景
≪ この記事を閉じる
カテゴリー: 自然農