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雑司ヶ谷参り

12月20日は、私の鍼の師匠にあたる先生の命日です。今年で10回忌となり、20日にうかがいたかったですが仕事でしたので、翌日に先生が眠る東京都豊島区にある雑司ヶ谷霊園を訪ねました。

雑司ヶ谷は、私が2012年から5年間、鍼灸院を開院していた場所でもあります。

私が雑司ヶ谷で開院したのも、私の先生の強い勧めがあり、先生は「雑司ヶ谷がいいと思うよ」と仰って、先生から他の町の名前が出ることはありませんでした。

雑司ヶ谷は、鬼子母神の境内を中心とした歴史ある、都電が走る下町風情の残る落ち着いた町です。そのような町が私も好きでしたし、私が雑司ヶ谷で鍼灸院を開院する前までは、雑司ヶ谷の隣町である東池袋で、他の鍼灸師の方と共同で運営していた鍼灸院に所属していたため、東池袋に来院されていた患者さんにとって、雑司ヶ谷であれば、無理なく通院していただけるのではないか、という想いもあって、私としても雑司ヶ谷は開院するには理想的な町でした。

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先生からは、ことあるごとに雑司ヶ谷での開院を勧めていただいていましたが、私がなかなか決断できず、先生に最初に雑司ヶ谷での開院を勧められてから1年後に決断し、物件探しを始めました。物件についてや細かなことまで、その都度、先生に相談させていただき、徐々に具体的な形となり、2012年10月に開院することができました。

私が物件を契約したのは8月でしたが、翌月に先生は入院され、12月にお亡くなりになりました。10月に開院できたことを報告させていただき、その時に電話で話したのが先生とは最後になってしまいました。

「神尾くんが開院したら、お祝い持って行くからさ」と仰っていただいていたのですが、それは実現しませんでした。

私が雑司ヶ谷での開院を決断した時期は、先生は治療院で変わらず鍼治療もされていましたので、私としては、先生に見守っていただけるならば、自分でも鍼灸院を開院できるのではないか、と思っていました。

それほど先生の存在が私にとっては大きなものでした。私が開院を決断するのが、あと2ヶ月、3ヶ月、遅かったら、私は雑司ヶ谷で開院することはできなかったのではないか、と今でも思っています。

それだけ先生が推してくださった雑司ヶ谷での鍼灸院でしたが、私の家族のことや実家のことなどがあって、雑司ヶ谷の鍼灸院は5年間で終了し、現在の埼玉県所沢市に移転する形となっています。 雑司ヶ谷での5年間も患者さんに恵まれ、鍼治療に没頭した充実した日々を送らせていただきました。

先生は、「鍼治療とは、10年続けて一つの形になって、また次の10年で変化したり洗練されていったりと、そういったものだから、10年一区切りというつもりで、継続していきなさい」と仰っていました。

私が鍼灸師となってから13年が経ち、私が雑司ヶ谷で開院してから、来年の10月で10年が経とうとしています。

先生の仰る「一つの形」ができつつあるのか、自分ではわかりません。それでも、先生の鍼を目指すと志してきたので、今後も鍼治療を通して、日々課題を克服して、成長していきたいと思っています。

そんなことをお参りしながら考え、先生の言葉を思い出した日に今日はなりました。

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カテゴリー: 鍼治療について

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